立ち食い蕎麦を食べても幸せにはなれない。33

立ち食い蕎麦。入店と同時に「かけそば一つ」と叫ぶ。あるときはコートを羽織りリュックを背負いながら、あるときはウォーターサーバーの前でコップ一杯の水を飲み干し汗だくのおっさんたちと、まるでタイムトライアルをに挑戦しているかのように勢いよく口の中にかき込む。ちょっと贅沢したいときは月見にする。まずは素の部分を味わい満を持して卵と掛け合わせる。またはコロッケを入れる。つゆを吸収したそれは同時にまわりに油の出汁を出す。「ごちそうさま」の声を出すのは、胃袋の中にあるそれはまるで実体のない幻想であるかのように、地球の歴史における青春の一ページのように、女心と秋の空のように、刹那を感じながら店を出るとき。

そんな寂寥感のなかに陰をひそめる幸せに気づくことができるか。それはまるで人生そのもの。幸せな人と不幸せな人の違いは、人種でも場所でも富でも名声でもない。自分の内に幸せを見出すことができるかどうかだ。不幸せぶっている人は周りのせいにする。またはみずからを否定する。そのどちらも幸せになるには程遠い行為であることを知らない。不の循環に陥る。いつまでもここから脱却できないのではないかと信じて止まない。

自称不幸者に大声で言いたい。幸せを恐れてはならない。きっと無理に見いだせなくとも幸せを獲得するチャンスは訪れている。そのときに何かと理由を付けて、言い訳を見つけて、拒絶しているのはまぎれもなく誰よりも幸せを望んでいる自分である。ショーペン・ハウアーは言った。陽気であることをためらってはならない。浅野いにおは言った。幸せとは恒久的なものではなく瞬間である。幸せになりたいのなら、幸せを受け入れればいいだけの話なのに、なぜそんな簡単なことがここまで難しいのだろう。

立ち食い蕎麦を食べれば解決する。しかし夢のような瞬間はあっという間に現実と化す。その間、わずか3~5分。もし夢のような現実であったのならどれだけ楽だろう。いや、決して夢と現実の違いなんて大してないのに、どうしても今を現実だと信じ込んでいる僕たちはまた、それと対局にある夢を幸せなものだと信じ込んでいる。だとしたら現実を夢にしてしまえばいいのかもしれない。もうなにがなんだか分からない。申し訳ありませんでした。ただ一つ言えること、それは立ち食い蕎麦を食べてもなにも解決しないということ。そんなものに頼っているようでは、とうてい幸せにはなれない。

忘年会ストライキ。集団化。自己中を極めし人間。32

2019年12月末、会社で忘年会があったが、僕は参加しなかった。

よく飲み会を断る理由として挙げられる”パワハラ”や”生産性”といった言葉で語るつもりはない。うちの会社は仲が良いほうだと思うし、絵に描いたようなひどい上司がいるわけでもない。むしろ参加したかった。それなのに断った理由はただ一つ。「お金を払うのが嫌だったから」。

かつて東京に配属されていたころ、こういった会社の飲み会はすべて経費で落とされていた。社員がポケットマネーを出すことは一円たりともなかった。しかし左遷先の大阪で今回言われたのは「ひとり3,500円」。東京と大阪は同じ会社であり仕事内容や業績に差があるわけでもない。それなのに待遇が異なる。おかしいのではないか。

今、大阪に配属している人は東京へ配属されたことのない人が多く、みんなは疑問を抱かずにあたりまえのように会費を払う。僕は少々嫌な人と思われるのを覚悟して、東京との待遇の違いを言ってみた。みんなは不満を垂らした。上司に話をしてみようと提案してみたが、そうとなると「その面倒をするくらいならお金を払う」と。結局、忘年会は僕を除いた全社員が参加することになった。

みんなが同じ方向に向かっているとき、それを乱すような言動をとるのは覚悟のいることだ。参加しなかったことでみんなからは「ノリが悪い奴」と思われたと思う。「でも、みんな行くし、3,500円くらいならいっか」と思えれば楽なのだろう。その会で楽しい時間を過ごすことができただろう。だけど、そうやって無思考になってしまっては、もしそれが仮に間違った方向だとしたら徐々に組織は狂い出し、いつしか全滅する。

集団化。みんなが「空気を読む」という名の得体の知れない圧力で、間違った方向を向き続けて起きた数々の戦争。災害。差別。いじめ。犯罪。。一人ひとりが異なる考えを持つことは難しいことだと思うけれど、もし強い意志を持てる人がいたならば、それをうやむやにしてはいけないと思う。考えることを止めてはいけない。それは最初は決して優遇されるものではなくむしろ社会に冷遇されるけれど、それでも、自分を貫き通すことが大切だと思う。

もし僕がなんの疑いもなく参加していたのなら、東京と大阪の待遇の差が見直されることは起こり得なかった。今回の件で上司たちに想いが届いたのならば本望であるし、そう簡単にいかないとしても、今後も自分が間違っていると思うことは微力ながら声を上げたいと思う。

ところで、本気で変えたいと思っているのなら、たとえ一人であっても上司にちゃんと相談するべきだ。でも僕はそこまではしなかった。なぜなら「その面倒をするくらいなら勝手に参加しなければいい」から。ようするに自分の納得のいかないことはしたくないだけの自己中なのであり、上司からすると「ケチくさい奴」なのである。

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ブログを移行しようか迷っています。31

しばらく「はてなブログ」を更新しておりましたが、いくつかの理由があってブログをnoteに乗り換えていました。

https://note.com/s_21d

noteはなにかと使い勝手がいいのですが、記事をログとして残しにくいというデメリットもまた感じております。

つきましては、しばらく両方投稿してみて、記録性の高さや閲覧回数を見て今後どちらを使っていくかを決めていこうと思います。

こちらの更新は、しばらくはnoteの過去投稿の転送となりますこと、ご了承くださいませ。

マイル。コロナウイルス。自分の都合のいいことしか信じない。30

2020年1月末、明日をもって1,000マイルの有効期限が切れる。

高校生の頃からネットショッピングの決済でいちいち振り込みをするのが面倒で、大学生になるなりクレジットカードを大量に発行した。時代はキャッシュレスと言うけれど、6年ほど前より僕は現金をほぼ使わないようになっていた。ここではないどこかに、なにか自分の求めているものがあるのではないか。どこかに逃避したいという思いは常にあり、マイルを貯めるのに適したカードをメインに使っている。

2年ほど前に社会人、あえて自分の否定したい言葉で言うのなら、サラリーマンになった。国内出張ではあるが旅行気分を頻繁に味わうと同時に気づけば12,000マイルが貯まっていた。これは国際線の利用の最低ラインに達しており、ローシーズンであれば日本からソウルまたはウラジオストクを往復することができる。

せっかくだしどちらかに行こうかと思ったのだが、結論から言うとこれから数カ月後は転職を控えていることもあり予定が分からないので断念することにした。でも切らすのはもったいない。数週間後に東京へ行くことになるので、復路を空路にしようかと思っているが。。

 

羽田空港。最近は湖北省武漢市で新型コロナウイルスの感染が拡大し、市内は各種規制がかかり、現在はもはやゴーストタウンと化している。1/28、29と武漢にいた日本人を乗せたチャーター便が羽田空港に着陸。このチャーターに搭乗していた方を含め、国内感染者は現在11人。連日のように感染者が発見・入院されている。空港内のマスク使用率は9割を超えているらしい。ANAJALの客室乗務員は注意喚起、また一部路線ではマスク着用をしている。

メディアやSNSは危機感を煽るが、厚生労働省は「過剰に心配せず、季節性インフルエンザと同様に咳エチケットや手洗いなどの基本的な感染症対策に努めて」と呼びかけている。オフィスのある人はマスクを着用し予防に努めているが、かたや「私は感染しない」と意味不明な自信を持ちまったく気にしない人もいる。

 

ところで、一日一食は健康に良いという。お金と時間が浮いて、空腹を我慢してようやくたどり着く炭水化物はなんでも絶品である。僕はこれが性に合う。若いし、そんなに野菜を意識しなくてもあまり問題がないように思う。かたや、それが健康に悪いという説もある。しかし僕は気にしない。一日一食は健康に良いと思っている。

 

やっぱり、マイルを切らすのはもったいないから、国内線を利用する。きちんとマスクをすれば、大丈夫でしょう。

 

大阪ぷらっと自転車旅その1 ─西成区編─、29

2020年になっても、当たり前だけど2019年10月からの大阪生活は変わり映えなく続いている。仕事が休みの日は用事がなければ家にこもって作業をするのみ。しかしそんな生活が続くと、やんわりと不安感に襲われる。そもそもここはどこなんだ。家の半径1km以内すら知らないようなところの居心地が良い訳がない。僕は決して家猫のように箱の内側だけ知っていれば良いとは思わない。僕のオーラによる円はわりと広い方だと思っている。

せっかく大阪に住んでいるのだから、大阪ひいては関西に詳しくなろう!そう意気込んで来たけれど、そしてそれは一瞬たりとも忘れてはないけれど、それから3カ月経った今でも大阪をあまり知らない。「大阪での生活はどうですか」と問われ、まだ大阪で生活しているという実感がなくなにも答えられない。道頓堀グリコとサシ飲みすることはあるけれど、それをしたところで大阪を知ることにはならない。知識がなくてはならない。だから雑学だけは身に付けてきたけれど、それでも足を運ばないのはもっと調べてからでは勿体ないと際限ない効率厨がかえって邪魔をするからだ。そこに行くのに時間や金がかかるわけではないのに。ようは怠惰なのである。

 

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とはいっても、足を運ぶにあたり最低限の知識がなくては身に付くものも身に付かないだろう。大阪市内の路線図および区の構成だけはなんとなく覚えておく。小学生の頃から何度覚悟してもできない早寝早起き。自宅のある福島駅を発ったのは14時。。

 

福島区からなにわ筋を南下して堂島川土佐堀川の中州である中ノ島を越えて西区へ。玉川から難波に行くときに通る阿波座駅前に寄り道してみる。なんもないけど、西長堀のほうまで南下すると木津川の向かいには京セラドームが見えた。自分とは関係ないと思っていた聞いたことある名前の場所さえ、家からチャリで10分ちょいなのである。

浪速区に突入。桜川そしてJR難波駅の西側へ。浪速公園というのに入ってみる。小学校低学年くらいの子どもたちが東京では見られないような自意識の外し方で叫んでいる。「ゴミは捨てなくてはいけませーん!」それが誰かの家であろうことなど知る由もなく段ボールを破壊する。

 

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看板があったので読んでみると、平和や人権についての区民の想いが書かれたタイムカプセルが収蔵されているという。浪速区行政100周年の2025年と、世界人権宣言150周年の2098年に開封。1999年当時からすると2025年はまだ見ぬ未来だったのだろうか。2020年の今の僕が、2098年がまったく想像できないように。。

 

さらに南下し今宮、新今宮。そして西成区。ここは路上生活をする日雇い労働者たちが全国から集まる「あいりん地区」と呼ばれる区域がある。第二次世界大戦時には大阪大空襲で甚大な被害を受けた。その後、様々な経緯で日本随一のドヤ街となる。1990年には警察が暴力団から賄賂を受け取ったことが発覚し、労働者やその勢いに便乗した暴走族が大規模な暴動が発生。日本で一番治安が悪いとまで言われることもある。

 

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日雇い労働者たちは早朝時間に「あいりん労働福祉センター」に集まり今日の仕事を探す。工事現場での肉体労働などがその大半を占める。1日10,000円が相場。寝床は路上生活する者もいれば、1,000円前後で泊まれるドヤに入り浸る者もいる。仕事を取れなかった者は昼から近隣の激安店で酒を飲みながら仲間たちと賭博をするなどで楽しむ。ここで働くのに身分証は要らない。様々な理由で表社会に立てない人たちも居られる場所。

あいりん労働福祉センターは仕事紹介場としての機能のほかに路上生活者にとっては住居としての役割もあった。しかし耐震工事の都合上で2019年3月31日をもって閉鎖されることになる。私が笹塚サウナで令和を迎えていたころ、労働者たちは閉鎖に必死に抗議をしていた。シャッターが閉まるのを身体を使って阻止した。彼らにとってここは唯一の故郷だったりもする。そのため閉鎖は見送られるも、その約1か月後に機動隊の介入により強制的に閉鎖。今は移転および建て替え中。それでも、閉鎖から1年弱が経った今でもこの施設付近にはたくさんの路上生活者たちがいた。

彼らの中には生活保護を受けられる者もいるだろう。しかしそれを受けずに仲間たちとわいわいする時間を選ぶ人が残っている。みずからを”弱者”と卑下しながらもどこかプライドを持っている。行政に対する不信感を抱き、静かに、ときに激しく反抗している。僕は決してそれらを支持するわけではないけれど、とはいえ簡単に否定することもできない。壁に貼られた無数の心の叫びを読んでいるとおっちゃんが話しかけてきた。何を言っているのか分からなかったが、時間が止まっているかのような話をしていたように見えた。

 

腹が減ったので近くの小汚い店に入った。ホルモン中華そば300円。旨かった。話しかけてきたおっちゃんが吸っていたたばこは”わかば”。僕はパッケージを出さずに”パーラメント”を吸った。スマホも出さなかった。今思うとこれは気遣いでもなんでもない。むしろ失礼に値するかもしれない。同じ日本なのに僕が想像できないような生活をしている彼らに、どういうスタンスで向き合えばいいのか分からなかった。そしてこう思うこともまた”差別”なのだと思う。

モー娘。以降のアイドルシーンにおけるドキュメント的演出、28

この文章もまた、社内向けに書いたものである。

 

かつて僕が好青年だった頃、母親が用意したお弁当にある唐揚げを食べて「冷凍食品おいしい」とは思わなかった。僕が美味しくいただいていたのは、鶏肉を揚げたであろう茶色の物体なのであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 

アイドルとは辞書で引くと「偶像」という意味であるが、芸能のジャンルで言うならばそれは一つの形式に過ぎず作品の本質を指すものではない。ジャンル分けというのは時代とともに複雑化している。

 もっとも、たとえば「アニメ」に関して、実写との区分は何なのだろうか?セル画が使われていればアニメなのか?リアルのカメラが使われていたら実写なのか?特殊撮影は?合成は?モーションキャプチャーは?それらを混合させた作品はどうなる?など、疑問が尽きない。

ジャンル分けは次第に意味を為さなくなるだろう。いや、もはやそんな時代になっていると思う。明確に分けることなどもはや不可能であり、それは都合よく認識しやすくするための言葉遊びである。(ただ、都合よく認識することも物事を語るうえでまた必要である。)

ーーーというスタンスを持つことが、作品の本質を見極めるうえで不可欠だと思うこと、第一に述べておきたい。

 

“アイドル”の起源を調べてみると1940年代にフランク・シナトラが呼ばれたところから始まるようだ。

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My Way (Remastered 2008)

https://www.youtube.com/watch?v=qQzdAsjWGPg

↑シナトラ最も有名な楽曲。

 

歌手活動のみでなく、歌唱面で見込まれてミュージカル映画にも出演している。

 

踊る大紐育 (原題:On The Town、1949年)

New York, New York - On the Town

https://www.youtube.com/watch?v=x7CIgWZTdgw

↑MGMの巨匠であるジーンケリーと多数共演している。

 

エンターテイナーとしての名声を博し、第二次世界大戦で男性が徴兵されていた時代、アメリカの女性たちからアイドル的な支持をされた。確かにアイドルと言われたらそうかもしれないが、それ以前にエンターテイナーであり、それ以前に、シナトラはシナトラでしかない、と思う。

僕が考えるに、かつてアイドルとは、なろうと思ってなるものではなく気づけば勝手になっていたものだ。上記のシナトラはもちろん、日本だと山口百恵は、松田聖子は、アイドルと呼ばれるようになるがそれ以前に歌手であり、それ以前に山口百恵であり、松田聖子である。モーニング娘。の発足時の5人は「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」の最終選考落選者であり、アイドルになろうとした人たちではなく、次第にアイドルと呼ばれるようになった。

日本のアイドルシーンにおいて、オーディションから記録し続けたモーニング娘。が“アイドル”の定義を大きく変えたと考える。それ以前は先に記述したとおりだが、以降においては「ドキュメント的な演出」が主流となる。ドキュメント的な演出とは、アイドルのような存在をアイドルと呼ばせるまでの(意図しないものを含む)仕掛けである。オーディションやバラエティ番組、ブログやSNS、ドキュメンタリー作品において、終わりなき成長過程を記録していく。

 

モーニング娘。 11期メンバー『スッピン歌姫』オーディション

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モーニング娘。 小田さくら 合格までの軌跡 1/2 20120927 [HD 1080p]

https://www.youtube.com/watch?v=jNvxMbx1-FQ

 

2012年9月、モーニング娘。の11期オーディションが開催された。モー娘。は『ASAYAN』から始まりオーディション風景を映像に収めてテレビ番組で放送するというお決まりがある。2012年9月27日放送の『ハロー!SATOYAMAライフ』では、当オーディション唯一の合格者である小田さくらにフォーカスし放送された。スマイレージ2期オーディションの最終選考落の悔し涙から始まり、自分と奮闘しながら人間的な成長を遂げるさまを描く。

この映像の素晴らしいところは、最終審査の表題曲『Be Alive』の小田さくらの歌唱のパワーを存分に信じ切ったところにある。ハロプロ研修生を経て自信を付けたという事実を、言葉のみならずパフォーマンスをもって表現できているのである。これは、誰にでもできる技ではない。苦闘するさまを見て、成長を見て、感情移入させる。ドキュメンタリーと聞いて多くの人がイメージするようなシンプルなドキュメント的演出である。

 

ところが、ドキュメント的演出はさらなる次元へと向かう。

ドキュメンタリーとは本来、ある事象を記録することが目的にある。しかしドキュメンタリーがエンタメ業界に飽和してもなお発展を飽き足らなかった結果、ときにドキュメンタリーを作ることそのものが目的となるケースもある。そうして本来記録すべき事象が不在の、“システム”の中でドラマを生ませるドキュメンタリーが誕生した。

システムの中で奮闘するアイドルのような存在と、そこに価値を見出す消費者たち。いつしか、モー娘。のように技量のある人でなくても良い、ドキュメント的演出に向いていれば「誰でもアイドルになれる」とまで言われるようになった。そうしたシステム=虚構の中のドキュメンタリーとは、真実なのだろうか。

※映画やドラマ、報道、バラエティ番組においてたとえると分かりやすい。それらはすべて「カメラがなかったら存在し得ない世界」を記録したものなのである。

 

AKB48選抜総選挙

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AKB48はシングルの表題曲の歌唱メンバーをファン投票により決定する「選抜総選挙」というものが毎年開催されている。このシステムそのものが「システムの中で奮闘するアイドルとファン」という構造になっている。

一見、シンプルなドキュメンタリーに思われるが、このシステムを構築するドキュメント的な演出が存在しなければ存在し得ないものなのであり、本来のドキュメンタリーの持つ意味とは大きく異なる。不正投票どうこうという意味ではなく、製作者からするとドキュメントを無理やり作るという意味で「やらせ」であり、しかしその中に確かな価値を見出そうとアイドルとファンはそのシステムの一部となる。

第9回AKB48選抜総選挙で、5位となった荻野由佳さんは「私は、『努力は必ず報われる』を、いま証明できていますか?」とスピーチする。『努力は必ず報われる』とは、第3回選抜総選挙高橋みなみがスピーチした内容であり、この時点では表舞台に立つ人間が「努力」と言語化し、それを商売にしていることへの自覚を持っていること、に対する違和感だけであった。しかし荻野由佳が「努力が(システムにおける)順位に結びついている」といった意味合いを含ませていたため、ドキュメント的演出は年々多重構造になっていることを感じた。

 

WACKオーディション

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WACKとはBiS、BiSH、GANG PARADEEMPiREなどが所属する音楽プロダクションである。毎年合宿型のオーディションを行っているが、ここにもまたシステムの中のドキュメント的演出が顕著に見える。

第一に、合宿の模様をすべてニコ生で中継している。これで合宿そのものがエンタメとなる。いや、むしろ「合宿をせっかくだからエンタメにしよう」ではなく、「エンタメを作るために合宿しよう」のノリであることは間違いないだろう。

合宿では歌唱やダンスなどアイドルになるうえで不可欠なスキルの向上はもちろん、スタッフ・視聴者投票、朝のマラソンの順位、食事(ハバネロ入り)などもまた審査の対象となる。いったい、ハバネロを大量に食べておなかを壊すことが何になるというのか。それでもなお、みずから積極的にもがき苦しみ、命を削り、そこに他者から「本気」を見出させなければならない状況が完成してしまっているのである。

 

これらのドキュメント的演出はアイドルシーンのみならず、恋愛リアリティショーにも踏襲されている。

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AbemaTV「恋愛ドラマな恋がしたい3」

 

日本は帰属意識が高いため、いつしか自分の存在そのものもシステムの内側にいることを忘れやすいのかもしれない。だからカメラの前で本気の恋愛ができてしまうのである。(無自覚のうちにカメラの求めることを演じている、という側面もあるだろう)

 

ここまで、システムを倦厭しているような文章を書いたが、僕はシステムを圧倒的に愛している。僕が熱狂的にドハマリしているサウナの世界は、各設備の役割が決まっており、「ととのう」までの道筋が決められており、非常にシステマチックに作られている。

 

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池袋 TimesSPA RESTA 男性フィンランドサウナ(90度程度)

 

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同・水風呂(15度)

 

これは、素晴らしきデザイナーが、またはサウナを愛するオーナーが、頭を練って作り上げた自慢のシステムであろう。しかしその内側で「ととのう」のは、まぎれもなく僕でしかない。そのときの快楽は、まぎれもなく僕のものでしかない。

システム(虚構)の中で奮闘するアイドル=「偶像」たちに価値を見出すのもまた、その当事者でしかないのであり、見出した価値はどんなものであれまぎれもなく真実であろう。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

『ラストレター』森七菜さんをぐだぐだ語る、27

この文章もまた、社内向けに書いたものです。少しウソを書いています。

やや修正を加えましたが、ログとして転用いたします。

 

 

2020年1月17日、岩井俊二監督の最新作『ラストレター』が公開される。私はこの作品の公開を長らく待ちわびていた。運よく試写を見る機会があり鑑賞したが、やはり期待を裏切らないものであった。

 

映画を鑑賞するときに監督を意識する方は、一般的には多くないように感じる。しかしそれは、ショパンスケルツォ第2番を聞いて満足しているのと同じだ。では奏者は誰なのか。ルービンシュタインなのか、ポリーニなのか、それともホロヴィッツなのか。同じ譜面でも奏者により演奏はガラリと変わる。映画もまた同様に、画面に映るのは演者だが、その演者含め画面に映るもの(または映らないもの)すべては監督の作為(または作為でないもの)により作られている。なんだかたとえ話をしたらより分かりづらくなってしまったような気がするが。。映画のクオリティへの責任は監督が持つ。それが基本である。ということを言いたい。

 

しかし最近では、いわゆる“職業監督”というものも増えてきている。どうすればより良いものになるかだけを考えていればいいという監督としてのユートピアからは程遠く、事務所やプロデューサーに揉まれながらなんとかして形にすることが最優先事項となる。それが仕事の人たち。そういった方々の作品は、エンドクレジットを見るまで監督がだれだかわからない。誤解を恐れずに言うならば、無個性。

映画の歴史は短い、まだ100年ちょっとだ。しかしそんな中でも名監督と呼ばれる無数の監督たちは、最初の数カットを見るだけで誰の監督作品だかわかるなんてことが当たり前のようにある。そしてそんな作品こそいつまでも長くこの世界に残り続ける。信念があるからだ。決して簡単に消費されたりはしない。これは音楽に関しても同じだと思う。

 

森七菜さんの『カエルノウタ』を使った予告編がある。

https://www.youtube.com/watch?v=a6K81uY5hL8

松たか子の凛としたたたずまいは『四月物語』を、広瀬すずの『手紙?なに、手紙って』には『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(1995)の奥菜恵の駆け落ちシーンを彷彿とさせる。間違いなく岩井俊二監督作品であると断定できるだろう。

 

『ラストレター』のプレスリリースを読んでまず驚いたのが、庵野秀明の出演。ご存知、エヴァンゲリオンシリーズを作り上げた人である。実写映画も監督しており、『シン・ゴジラ』が有名だがそれより前に『式日』(2000)というニッチな映画を作っている。ここで岩井俊二を役者としてキャスティングしている。しかも主演。これで、お互いの監督作品にキャスティングし合っている状況となり、なんだかある種の気持ち悪さを感じる。やたら緊張感のある映写室でさえ、庵野さんの出演シーンでは笑い声が聞こえた。

次に、プロデューサーが川村元気さんであること。『君の名は。』をはじめとする新海誠監督作品のプロデュースをはじめ、0年代以降の邦画ヒット作を次々と排出している。アニメ映画『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(2017)のプロデューサーも務めたが、これは岩井俊二監督が1993年にドラマとして、1995年に映画版として公開した同作が原作である。正直、彼がプロデューサーになったことで作品のクオリティが下がりはしないかと不安だった。確かに従来の岩井俊二監督作品と比べて大衆向けになっているが、それでも監督の個性は健在だと思う。

あとは主題歌『カエルノウタ』を岩井俊二が作詞していることだろうか。音楽への造詣も深く、かつて『スワロウテイル』(1996)ではCHARAさん率いるYEN TOWN BANDの作詞をしている。発足は劇中バンドだが今もなお長く活動している。

 

森七菜さんを初めて認識したのは日テレのドラマ『3年A組-今から皆さんは、人質です-』(2019)だった。あまりにも自然であり素朴な演技をする子だと思った。まもなくしてヒロインを演じた『天気の子』が公開されて勢いを感じていたところに、岩井俊二に大抜擢。

『ラストレター』で共演している広瀬すずさんも、最初は広瀬アリスの妹という印象しかなかったが是枝裕和監督作品『海街diary』(2015)での演技を見て、確かな実力があり息の長い女優になることを確信した。森七菜さんもまた、『ラストレター』劇中では決して見劣りすることはなく広瀬すずの妹分を十分に演じ切っていた。

歌声は決して上手いわけではないが演技にもある素朴さ、透き通る声でエンドくレジットの余韻を引き立てるもの。岩井俊二監督作品の甘酸っぱい青春を軽やかなタッチで描く作風に、彼女のある種の“特別でない感“はそれを最大限に引き立たせるものだった。

 

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