山陰をめぐる旅(3)。出雲大社の神々にすぐに飽きる。40

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新型コロナウイルスが日本国内に蔓延した今もなお感染者が確認されていない、誇り高き鳥取・島根をめぐる山陰の旅。

鳥取・松江と県庁所在地周辺さえも人がほとんどいないという過疎っぽりを見て、想像以上の光景に旅のモチベーションが下がっていた。無駄に疲れている。宿泊した松江市内唯一の漫画喫茶は泊まると食事が割引されるという謎の制度があり朝からトルコライスを食べる。トルコライスとは、ピラフ・ナポリタン・とんかつ・カレーなどの炭水化物をワンプレートにぶっこんだもの。吐きそうになる。満腹になるとまた眠くなりチェックアウトぎりぎりまで寝る。

冴えない松江だが、市役所にいくとOfficial髭男dismの紅白出場を記念したコメントボードが設置されていた。こういった場所から著明人が排出されると地域全体で応援ムードになるのがよくわかる。わずかな希望に敏感になるのは僕自身にも同じことがいえる。ようするに日々、満たされていないのだ。

松江市は中海と宍道湖の間に位置しており、それらは川で繋がっている。一応、山陰最大の人工を擁する都市。水の都と呼ばれるまでに水路を中心に栄えた歴史がある。駅から大橋川を越えるとすぐ先には島根県庁そして松江城がある。天守が国宝となっている数少ない城のひとつ。豊臣政権下に三中老だった堀尾忠晴が建造。せっかくだし中をのぞいてみたかったが二度寝のせいで外堀を走るのみで観光終了。宍道湖の北沿線をなぞるように、一畑電車出雲大社まで。

ごぞんじ出雲は日本神話の中心となる地であり、ここ出雲大社大国主命の国譲りの功績をたたえるために建造されたとされている。ここは独自ルールが多く、たとえば参拝は「2礼4拍手1礼」である。理由は諸説ありすぎておりどれが真意なのかは分からない。また、祭神の大国主が海の方角を向いているから本殿正面ではなく横から参拝するのが通である。しかしそれを知らず?かは不明だが、本殿正面で参拝する人のほうがもちろん多く、すると彼らの参拝は意味がない、それとも効力が弱いのか(そもそも効力とはなんだ)、などといった問題になってくる。はっきりしたものがない以上、人々はそれが正しいのだと信じたいものを探すのが楽しみのひとつとなる。そして信じたい参拝をすればいいし、信じたいものを信じるために、この場所を訪れる。僕もまた縁結びの神様とやらを信じることにして深々と参拝した。

すぐに飽きてしまった。帰りはサンライズ出雲でも乗ろうかと思っていたが暗くなるのを待つのも嫌で、急にお金が惜しくもなってきて高速バスで帰ることに。途中のPAで運転手と一服。そのときの会話は、信じる信じないなどとは一線を画するただ厳しい現実を突きつけるだけのものであり、否定の余地のない暴力的な言葉がすがすがしく出雲に来てよかったなどと無理にでも信じられるに値するものであった。

山陰をめぐる旅(2)。足立美術館。作為むきだしの庭園。39

鳥取カプセルホテルで目覚める、二日酔いだ。チェックアウト間際に眼鏡を無くしたことに気づく。大阪で浪速を感じながら奮発して購入した3万円のもの。最悪の気分でダメ元でフロントに聞いてみるとロビーに落ちていたとのこと。そういえば昨夜、ホテルに戻るなり目の前にあったソファで寝た気がする。そのとき眼鏡をかけながら眼鏡を探す人のように自意識を嘔吐していた。うつ伏せの圧力でひん曲がっている。もう二度としてこのような失敗はしないのだと永遠に繰り返される無意味な誓いをしながらアクエリアスを一気飲みする。

鳥取はもう境港くらいしか興味がないがスケジュールの都合で島根県安来市までスーパーまつかぜ山陰本線から日本海を望む。だが、そのほとんどは睡眠により覚えていない。ゆいいつ印象に残っているのは、このへんの方は他の乗客の隣に意地でも座らないということ。特急にもかかわらず立っている人がちらほら。人見知りなのだろうか。

安来駅からバスに乗り、今回の旅の最大の目的地である足立美術館へ。横山大観の作品で有名だが私の関心は日本庭園にある。ここの庭園はアメリカの日本庭園冊子「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」で17年連続一位に選出されている。隅々まで味わい尽くし幸福に満たされた。庭園の詳細は下記記事にまとめられているので興味のある方はお読みください。

https://www.kankou-shimane.com/pickup/2901.html

庭園内にとどまらず、たとえば借景(庭園外の山や森林などの自然物等を庭園内の風景に背景として取り込むことで、前景の庭園と背景となる借景とを一体化させて景観を形成する手法)の滝は人工で作られておりポンプで汲み上げている。こういった神経質とも呼べるまでの異常なほどの作為が凝縮されている。庭園というと「自然豊か」と思うかもしれないが、どの庭園においてもその自然とは無垢な自然ではなく、すべて人間の作為により創り上げられているものだ。なぜなら庭園における自然(主に植物)そのものは変わりゆくものであり、美を目指すならば常にメンテナンスを怠ってはならないから。「自然と作為の調和」が日本庭園の目指すべきものだとするならば、この庭園は作為がむきだしとなっており邪道なのかもしれない。しかし僕には性に合う。映画でいうならばスタンリー・キューブリック監督である。

僕はこのときに感じた感動をいつまでも忘れないだろう。そして、この感動はこれから僕が物を作るうえで、もっと言うならば日々の生活において、なにかしらの影響を与え続けることから避けられない。ここに来られただけでも今回の旅費は決して高くなかったと思うことができた。

その後、松江まで。鳥取と同様にここもまた人がいない。もうお酒は飲みたくなかったが、地元の方と話すには飲むしかない。ミュージックバーに行く。思いのほか会話が弾ますに2杯ほど飲んで退店。松江駅近辺にただ一つしかない漫画喫茶に宿泊する。カラオケやダーツなどの遊び場もここしかないので騒がしい。異様なほど混雑している。情報格差。東京であたりまえだと思っていたことも大阪ではそうではなかったように、過疎地域では想像すらすることができない。

山陰をめぐる旅(1)。自意識とともに嘔吐する。38

人口ランキングでワースト1位の鳥取県、2位の島根県。行く機会があり旅をしてきました。果たしてどんな魅力があるのでしょうか。。

姫路から特急スーパーはくとに乗車。智頭線因美線の急こう配を制御付き自然振子式でスイスイと進む。特急列車にはあまり乗車したことがないのでそれだけで楽しい。車窓からの景色はどっからどう見ても田舎。。2時間20分ほど揺られて鳥取駅に到着。

鳥取というと鳥取砂丘というイメージしかなかったが、いざ着いても駅チカでの観光スポットはただそこしかないのではないのではないかと思われるほど何もない。南口には因幡の白兎(古事記に出てくるウサギ、スーパーはくとの由来)の銅像があるが、これを見どころと呼べるほどのものかはわからない。その隣には、文科省唱歌『故郷』が流れる箱がある。作曲家が鳥取出身であるというだけで、これを建て、スーパーはくとのアナウンス音にもなっている。地味だがよい。しかしこれらをここで取り上げるほどに、なにもない。

バスで鳥取砂丘まで。その日は週末だったので観光客でもいるのかと思ったがほぼ無人砂丘の入口から日本海までは歩いて15分くらいか。海の近くには漂流物なのか不法投棄なのかはわからないが、冷蔵庫のような粗大ごみなど適当なごみが散乱している。風紋はほぼ見ることができず、少し曇っていたので日本海に沈む夕陽を臨むこともできなかった。せめて星空をと思っていたところでクリスマス仕様のライトアップが始まる。中途半端な観光地ナイズドでもしなければ集客することができないほどに、知名度とは裏腹に厳しい現実を垣間見た。

二十世紀梨のサワーを飲みながら駅に戻る。ホルモン焼きそばというものが有名らしく食べてみるも予想通りのお味。暇である。鳥取一の歓楽街に行ってみる。フライデーナイトにもかかわらず人がほとんどいない。ちらほらいる客引きは、客がいない以上そのアイデンティティを失い、もはや路上喫煙してるだけの兄ちゃんと化す。ちなみにこのあたりは東京とは異なり受動喫煙対策が進んでいないので、どこでも吸っていいという文化がある。なにしよう。お酒を飲むしかない。現地の人と話してみたいのでスナックに入ってみる。

お客はゼロ。40歳ほどのマダムと、いかにもアルバイトの20歳くらいの方。マダムは中国出身で随分と前より鳥取に住んでいるという。アルバイトの方は専門学校生で、卒業するなり大阪で働きはじめるという。上京したい思いもあるがどこか怖いらしく、そういった近畿・中国・四国地方の学生は大阪に集まる傾向があるようだ。ようするに半端者だが、それはまるで僕が世界を知っているかのようで申し訳ありません。学校を卒業すると地元での雇用が少ないこともありだいたいは都市部に行く。だから若い人は(そもそも街で人をほぼ見かけなかったが)残らず、活気がなく、都市部との格差は広がるばかりである。

しばらくすると50歳くらいのおじちゃんが入店。芸術への造詣が深いかたであり話が盛りあがる。飲みすぎてしまい退店しようとすると、彼から「奢るから」と言っていただき、それからも長々と飲む。彼ほど聡明なかたでさえ、鳥取しか知らないネーチャンに老害をぶちかますのを見て、どこか悲しく、しかし人生の本質に触れられた気がした。限界が来て退店。おじちゃんありがとう。律儀に見えなくなるまで見送ってくれやがる。早々と角を曲がるなり、自意識とともに嘔吐する。

結局、暇だと飲むしかないのである。

ミニマリストのすゝめ。ゴミに囲まれし日々からの脱却。37

ここ2年で3回も引っ越しをした。そのたびに荷物をまとめなければならないのがとても面倒で、手当たり次第に物をすてて最低限のもので生活するようにした。ミニマリストとまでは言えなくても物を減らして生活して3カ月ほどが経つが、今回は、その感想を書き記していこうと思う。

まずは衣類。気づけば膨大に増えてしまっているもの。それに、収納するにもスペースを要する。減らすならばまずはここから。数年前より着ているお気に入りの服がよれていた。手元にあるもののほとんど着用していない服がありそれで代替可能ならば、思い出とともに捨ててしまうべきである。物をなかなか捨てられない理由として代表的なもの「思い出」。しかしそれをいつまでも保持していても前に進むことはできない。過去も大切だけれど、これからの自分を幸せにするのは未来でしかないのだという自覚を持とう。そうはいっても僕は記録中毒者なのでスマホで写真を撮ってから、捨てる。また、使い道はないけど状態の良いラフな服装を「部屋着として使える」と取っておいている方も多いのではないだろうか。いま使っていないその無数の部屋着たちは、いままでも、そしてこれからも、その大半は使われることなく永久にあなたの収納を圧迫し続けるだろう。こちらも大量に処分することにした。

続いて食器類。やたらと貰い物があったので、いままで使っていたそのへんで買ったものを処分し、個性豊かな思いの詰まったものに代えることにした。勿体ないからといつまでも使えないものがあるのならば、使う機会を逃しいつまでも使わないほうがより勿体ないのだと考えよう。貰い物は基本的にこの考え方でいるとよい。いただいた瞬間に使い始めれば、どこかで眠り続けることはない。いま関わっている人は、いつまでもあなたのそばにいてくれるとは限らない。身近にいてくれるうちに使って、その思いを享受するのがなによりも勿体なくないのである。

あとは生活用品だろうか。消耗品のストックがあるかもしれないが、貰い物の新品やいっとき必要だったからと新品同然のものがないだろうか。もし今使っているものよりも使いたいものならば、こちらも勿体ないと思わずに取り換えてしまおう。食品以外、いや、ときに食品においても言えることだが、新品のものはまず第一に空けてしまうことをお勧めする。そうすれば嫌でも使うことになるだろう。あまった新品のものは捨てるのが勿体ないのならば誰かにあげてしまうといい。

物を減らすときの選択肢は3つある。捨てる、譲る、売る、だ。なにか値が付きそうなものは売るのが良いし、売るとまではいかなくてもだれかが欲しそうなものは譲るといい。しかしこの2つは後回しにしがちである。たとえばメルカリなどネットショッピングに出品したとして、売れるまでは抱え続けなければならない。物を減らすときのコツとして、何事も後回しにしてはいけないというのがあると思う。売るというカロリーに見合うだけの収益があるのかをまずは検討しよう。売るさいの値段設定だが、なるべく得をしようとせずに、ほんらい捨てるべきものに有難いことに値段が付いている、という認識をして思い切った値段設定にしよう。早く売り、早く手放してしまうことが大切な心構えである。

収納編。僕は映像や音楽まわりの機器がかなり多い。たとえば、かなりの種類のケーブルがあり、そかもそれらは不要なものではなく必要なときには必要となるので捨てられない。そういったものの収納方法として、規格化というテクニックがある。すべて同じ規格のチャック付きのケースで一か所に収納することにした。これで散乱することがなく、必要に応じて迷うことなく取り出すことができる。整理しているうちに、Micro-Bケーブルが過剰にあることに気づき、減らすことに成功した。

物を抱えないことは経済的にもよいことだ。ものを収納するためのケースやスペースそのものを削減できるのである。今よりも少し狭い部屋に住んだって不自由なくなる。また精神的にもよいことだ。部屋に余裕があるのと同様に心にも余裕が生まれる。物に囲まれているよりも集中力が増す。雑念がないからである。そして持っている物ひとつひとつに愛着がわく。選ばれしものたちに囲まれた生活が、待っている。

人は死んではならないのか。横浜市の飛び込み自殺から考える。36

横浜市で女子高生が飛び込み自殺した事件が話題になっている。飛び込む瞬間をライブ配信していたことと、彼女の自殺願望が赤裸々に綴られたツイッターのアカウントが特定されたからだ。ここでは、この事件に関心を持った経緯を書いてみようと思う。

まず第一に、ライブ配信されたのだからどこかしらにログがあると思い探した。現代を生きていた高校生が自殺する瞬間をとらえた映像なんて見たことがないからだ。彼女はどんな顔なのか。どんな飛び込み方をしたのか。なにを思っていたのか。もしかしたら、グロテスクなものが映っているのかもしれない。ようするに、ただの好奇心である。その後、より彼女の内面を知りたくなりツイッターのアカウントを探した。なにが彼女を自殺するまでに至らせたのか気になった。これもまた、ただの好奇心である。僕は自分の好奇心のままに自殺した彼女のことをとにかく探った。

ライブ配信ツイッターを見てまず思ったことは、そこまでに至ってしまったことが可哀想だと思った。もしその場にいたならば、手を引いてあげたかったと思った。缶コーヒーをあげれば、ほんのわずかでも希望を見せられたのではないかというあわい期待だ。また同時に、自分はいま自殺願望を抱くような環境にいないことが、すごく恵まれていることだと思った。だけど少し考えるとこれらの考えが良くないものだと思うようになった。

最近おもうのは、他人から嫌われたくない人は嫌われないように愛想を振りまくし、それよりも自分を貫きたい人は他人から嫌われようが心にないことは言わなかったりする。そこで出世したい人は偉い人に気に入られるように動いて着実に評価されていくし、それよりも今を大切にしている人は行き当たりばったりの言動を積み重ねて信頼を失っていく。現状に文句をいう人が多いけれど、それはようするに暇だからなんか喋っているにすぎないのであって、なんだかんだわりと望むようになっているのではないだろうか。

そう思うと、いま生きている人の大半は生きたい、またはなにも考えることもなく生きており、死んだ人は死にたいから死んでいる。なかには生きたくても生きられなかった人もいるけれど、それを持ち出して自殺を悪くいうのはお門違いだ。なぜなら、自殺する人にとって生きることはけっして素晴らしいことではないのだから。こう考えるけれども、上記において一度「死んでしまった」と書いたのを書き直した。それほど自殺は正解ではないという感覚が僕には強く根付いている。

自殺した人を見て自分が恵まれているなどと思ってしまうのは差別だと思った。結局は自分が正しいのだと思い込んでいる愚か者だと思った。決めつけてはいけない。相対的に幸せを感じているようでは、自分より恵まれない他人を見ることでしか幸せに気づけないままだ。もし全人類が幸せだというユートピアを目指すならば、みんながみんな、他人と比較することなく自分の幸せに気づかなくてはならない。今までの歴史を現代をもって脱却しなければならない。ただ、それが正しいことなのかはわからない。今のままで、いいのかもしれない。

妄想してみた。僕が仮にそれ以前から彼女のツイッターを知っていたとする。僕は本気にすることなく、なにも触れずに見過ごすだろう。あのとき同じホームにいたとする。飛び込むのを察して手を引くだろう。その後、缶コーヒーをあげたとする。僕は彼女を前にして臆病になるだろう。想像できないような言動をしてくるだろう。もし、うまくいってその場を乗り越えることができたとして、ではそのまま別れるのか。話を聞くのか。缶コーヒーを持ち出して人生を諭し、説教をし始めるのか。児童福祉施設にでも連絡するのか。たとえ彼女がそれを望んでいないとしても。

ところで、僕は生まれることを望んでないのに生まれてきた。なぜなら両親は子どもが欲しかったから。結局はその程度なのだろう。少しくらい自分の正義を押しつけなければ、この記事のように、なにも語ることがなくなってしまうのかもしれない。そう思うと、やはり言わなくてはならない。僕は彼女を救いたかったし、自殺はよくないし、人生は、素晴らしいものである。

しかし、そういった正義の押し付けというものがまた争いを生む。もし本当にユートピアを望むのならば、なにも語ってはならない。それがユートピアなのかはわからない。

安い宿を求めて。東横INNからサウナ、そして「じゃらん」へ。35

家に帰らない生活をするにあたり、宿泊費というものは非常にネックな問題です。逆にいうと、ここを節約できれば金銭的な余裕が生まれると思い、従来の宿泊方法を改革することにしました。

まだ国内旅行をあまりしたことがない頃、大阪で寝床を探し、辿り着いたのが東横INNだった。普通の学生は漫画喫茶にすべきであり、ホテルというものは富裕層が利用するものだと思っていたが、大阪の一等地でも一泊6,000円前後と意外とリーズナブルなもの。会員カードを作ると安くなるというので受付にて手続きすることに。やる気のなさそうなお姉さんが懐からわけのわからない物体を出し、いきなり僕の真正面に差し出し、気づけばシャッターを切られていた。そこそこカメラに詳しい僕でも、このときカメラをカメラと認識できないほどに見たこともない物体だった。心を奪われた。そのときの僕の困惑した表情は、今でも会員カードに記録されている。

無料で食べられる朝食バイキングは食事の本質である栄養摂取のみを目的としたようなもの。飲み物は、水とお茶、牛乳、コーヒー、それにオレンジジュース。このときのオレンジジュースは決して特別な味ではなかったのであろうがほんの贅沢をした気分にさせてくれる、至極の一杯。この味を求め、それからしばらく、東横INNを好んで利用するようになる。各地で泊まるうちに気づいたことがある。どこの部屋もレイアウトが完全に同じなのである。異なるのは料金と窓からの景色くらいか。無駄がなくシンプルを極めたデザイン、病的なまでのシステマチックさが、神経質で潔癖気味の僕には性に合った。ポイントを貯めて無料で泊まったりして、もはや第二の家であった。なお、東横INNと並ぶビジネスホテルであるアパホテルスーパーホテルは、比較がてら利用してみたが料金が若干高く気に入ることはなかった。

しかしもっと料金を抑える方法を見つけた。サウナである。サウナ施設にはカプセルが併設されていたり、リラクゼーションスペースがあったりで朝まで居られるものがある。べつに一泊ごときに個室に泊まりたいという欲はないのでこれはサウナにも入れるしビジネスホテルより安いしで都合が良かった。これにより、ここ一年間で東横INNに宿泊したのは片手で数えられるほどになり、全国のサウナを66回訪れることになった。どのサウナにも個性がある。ととのって気づく新たな境地がある。サウナと出逢わなかった人生はどこか寂しいものだと思う。しかし、まだ高い。。もっと料金を抑えたかった。

そこで最近見つけたのが「じゃらん」である。元は旅行専用雑誌だが今はオンラインで様々なホテルと提携し、サイト内で提携ホテルの比較から予約までできてしまうというもの。泊まりたい地域を選択して「安い順」にしてもっとも安いところに宿泊する。これがマイルール。事前の予約などしなくても「今夜泊まれる宿」を検索することができる。まだ10回ほどしか利用してないが、だいたい2,000円前後で一泊することができている。この方法の面白いところは、今まで存在すら知らなかったような宿と出逢えるところにある。ちょっと調べてあまり行きたくないところでも、行ってみたら意外と良かったりする。おおよそ個人経営のドミトリーホテルが多いが、その地域の個性を感じられるものであり新たな世界が垣間見ることができる。食べログと同じように、いいものを食べたいのではなく自力では出逢えないものを紹介してくれる。そして、なによりも安い。

それぞれに利点がある。今はじゃらんにハマっている。だけど、それに満足することなくこれからもいろんな方法を試して知見を広げていきたい。

怒りの持続時間は2時間。それより怒っている人はどこか無理をしている。34

会社の喫煙所という名のオアシスで小型スピーカーを持ち込み名曲喫茶を開業していると、彼女がいつものように怒りながら入ってきた。得意先とのやりとりがうまくいかずに苛立っているのだという。実在しないユートピアに思い馳せてここが居場所ではないなどと現実逃避している僕は、仕事など感情を動かすに値するものではないと考えずにはいられないため、そんな彼女をどこか羨ましくも思った。ふだん熱く怒るということをしないが同時にどこか冷たく怒りを抱え続ける、核兵器を持った旧ソ連軍のように、いや、反抗期のお子ちゃまのように、ようするに面倒なやつでも、最近ちょっと熱く怒ることがありました。

仕事の話になってしまうのであまり詳しくは書けませんが、ようはこちらは積極的に打ち解けるために話しかけているのに、お得意様はまったく交流を図ろうとせず、同胞と盛り上がっているのです。それがプライベートなら、むしろそんな自分に魅力がないのだと自己評価を下げて終わる話なのですが、仕事においてそれをされると、なんやねん!こちとらあなたに興味があって話しかけているのではなく、仕方なくやってんねん!などと思うわけでございます。

僕が熱く怒るメカニズムとして、逆の立場だったら信じられん!と想像してしまうときに起こります。もし、僕が同胞と一緒にいて、そこに第三者が表れて、しかも名刺を差し出してきて、その状況においてなお僕は同胞と話し続けるなんてことできるわけがないだろう。と、そんな怒りは次第に相手を蔑むところまでいき、ふとすると蓋を閉じています。怒りという感情の持続時間は最長でも2時間なのです。

そしてその後に襲いかかるのは自己嫌悪でしかない。相手のことをなにも知らないくせに、相手のことを無礼者だと決め付けてしまった。もしかしたら僕はなにかとてつもなく失礼なことをしたのかもしれない。または、相手もまたなんらかの怒りを抱いているかもしれない。もしくは、相手は相手の理屈があるのかもしれない。誤解が生じているのかもしれない。その可能性がもし少しでも表出したとき、怒り狂っていた僕はそれに気づくことができたのだろうか。

あえて怒りを表現して伝えたいことを伝えるという手法もあると思う。しかし、このときに抱いた怒りは、自分の思い通りにならなくてわめいているに過ぎないものだった。自分の感情のあらゆる責任は、すべて自分にある。幸せを感じるのも、寂しさを感じるのも、ある事象を自分はどの角度から見るのか、また、それをどう認識するか、すべてそれ次第なのである。しかし怒りという感情はそんな周知の事実をも忘れさせるのだから恐ろしい。

そして、僕はまぎれもなく人間であると、どこか安心した。