愛すべき人を失うということ、10

 

2ヶ月前から僕の人生は大きく変わった。運命の人と出逢ったのである。

 

出逢いはまさに「運命」の名に恥じないものであったと思う。偶然に偶然が重なった挙句、出逢い、気が合うことを知り、それからも関係を持ち、ともに時間を過ごすことができた。

当時の記録を振り返ると、僕は初めから彼女に恋みたいなものをしていた。今まで恋愛をしたことのない、可愛い女性を見たときにちょっと気になる程度の恋愛?経験しかなかった僕にとって、これほどまでに気の合う女性を見つけては、「運命」と思わざるを得なかったし、すぐさま惚れてしまったのだ。

すこし経験不足を盛ってしまったかもしれない。正確には、確かにお付き合いをしたことは過去に2度あるし、失恋をしたことも1度ある。しかしお付き合いは中学生以前の話で「愛」などというものは当分語れないものだったし、失恋についても一方的に魔性の女にひかれていただけだった。

 

そんなことはどうでもいい。ここで説明したいのは、ふたりは出逢い、時を過ごし、ともに惹かれあい、出逢って2ヶ月にして一生関わっていくであろうことを共通認識したということである。

 

もちろん時間が過ぎれば関係性も変容していく。そんなことはわかっている。しかしどう変わるかなんて誰にもわからないのだから、気にしないことにした。

未来について確かなことなんてなにひとつないけれど、しかし現在、僕たちが愛し合って、ずっと一緒にいたいと思っていることは、確かなことだと思う。

 

しかし未来がほんとうになにがあるかわからないということを、僕はまだ知らないのだと思う。

 

愛する人が亡くなってしまう、ということだってあるかもしれない。

 

とある映画でそんなものが描かれたとき、僕はそれが重大なことだと認識しつつもまだ十分に考えることができていなかった。

 

そして今日、4年間も付き合いがある友人からとあることを告げられた。僕は今まで知らなかった自分を恥じ、話されなかったことを情けなく思い、悔しく、同時にたしょうの怒りも感じ、次第に彼が何年も想い続けていることを考え、涙した。

それでも僕は、まだそのことを知らないのだと思う。どんなに話を聞いたところで、考え、想像したところで、僕はなにひとつ知ることができないし、それが当たり前なのだとも気づいているが、それでも情けなく思う。

 

それがしょうがないのはわかってる。だから、人は感謝し続けて生きていくのだと思った。

 

明日僕は、愛する人といつものようにデートする。