金沢と音楽(1)、18
北陸新幹線の終着駅、金沢を訪れたのは今回が2回目であり、初めて訪れたのは大学3年生のゴールデンウィークだった。
かつての僕は、これは語るべき体験であるとは認識していなかったが、時間が経つにつれそれは僕の人生においてわりと大きなことのように思われてきた。
池袋のいつもの喫茶店で女友達と珈琲を飲んでいた。
日常に不満があるわけではないけれど、かといいけっして満足してはいない僕たちは、ふとどこか遠くに行きたくなり数時間後には「大阪」と書いたスケッチブックを西池袋IC付近で掲げていた。
僕はヒッチハイクを自慢げに語る人が好きではない。
乗せられる側はあくまで乗せてもらっている身なのであり、それをおごり高ぶるのはなんだか違う気がするからだ。
(しかし当時の僕たちは、圧倒的に金欠であった。。)
そのようなメンタリティであったので、初対面のドライバーとヒッチハイクの話で盛り上がることはなかった。そこで盛り上げたくなかった。
つまらないやつ、と思われていたかもしれない。
ヒッチハイカーが、ヒッチハイクというアイデンティティを失ったことで浮き彫りになった赤の他人が、初対面のドライバーと打ち解けるには共通言語を見つけなくてはならない。
車内に流れている音楽は簡単だった。
僕の分からないマニアックなものでなければ、そこから相手の年齢や性格を読み取り話を膨らませることができる。
ひとむかし前、群を抜いたマスメディアであったテレビから自然に聞こえてきた音楽は、その人が生きてきた時代を忠実に反映しており、それは映画や本にはない敷居の低さであると思った。
大阪に着いたのは東京を出発して約24時間後。
心斎橋の東横インはシングル1部屋しか空いておらず、特別に2人で入らせてもらうことになった。
僕もそうであったがおそらく彼女も、同じ人とずっと一緒にいることにストレスを感じていた。
うつ病の彼女は、寝る支度をするなり睡眠剤を飲んですやすやと寝息を立てた。
僕は居ても立っても居られなくなり、イヤフォン片手にホテルを飛び出した。
ブルース・スプリングスティーン『Born to Run』を聞きながら、今は見慣れた道頓堀を駆け抜けた。
(笑)
無敵だという感覚になり、このまま東京へ帰ってしまおうかと思ったが、ちょっとしたら疲れた。
シングルベッドの端に、静かに戻った。
翌朝、金沢を目指してヒッチハイクを始めた。