金沢と音楽(2)、19
小松海岸で「日本海に沈む夕日」に息をのみながらも、隣にいるのは一緒にいるのが苦でしかない女であることに辟易とし、目の前のロマンティックにわずかでも反発したくなり「おちんちん」と呟いた。
彼女は故郷である小松に留まることになり、僕たちはそこで解散した。
待望のひとりを、見知らぬ地を、満喫したく、あてもなく金沢の夜道をほっつき回った。
ひがし茶屋街、近江町市場、金沢城の外堀り。。深夜0時を回ったころ、日中はにぎわっていたであろう人影は跡形もなく消え、まるで人類が滅亡したみたいだった。
どの店も閉まっており途方に暮れていたとき、ほんのり照らされた「Music Bar」の看板を見つけた。
店内にはヴェルヴェット・アンダーグラウンド『Sunday Morning』が流れており、僕がヒッチハイクでここまで来たことなど話す間もなく空間に溶け込んだ。
そこの常連客の30歳ほどのお兄さんに連れられてはしご酒。
2軒目はもっとこじんまりとしたバー。
40歳ほどの良く笑うマダムがひとりで経営している。
カウンターの後ろにある安っぽいスピーカーにスマホを繋げて、お客のリクエスト曲を流すスタイル。
(このスタイルを売りにしているわけではなく、たまたまだと思う。)
渋谷系の話になり、フリッパーズ・ギターからアズティック・カメラ、オレンジ・ジュースまで流した。
スコッチ・ウィスキーに酔いしれた。
ようやく素性の話になりヒッチハイクで来たことを話すと、とくに驚くわけでもなく宿がないならとお兄さんの家に泊めてもらえることになった。
最後の一曲はお兄さんのリクエスト、大沢誉志幸『そして僕は途方に暮れる』。
この曲をここで初めて聞いたとき、その突き抜けたナルシシズムに感動した。
それから東京に戻ってからも、この楽曲は何度も聞き、僕の精神的な支えとなった。
(1984年にEPICソニーよりリリースされた最初のバージョン、最後に”トゥルルルー”と歌わず、後腐れなく終わるものが好きだ。)
店を後にし、お兄さんの家へ。
あまりに物が少ないが音楽機器まわりだけは充実している部屋で、妙に落ち着いた。
お付き合いしている彼女のために購入した新品の敷布団を、ひとあし先に使わせていただいた。
それから数カ月後、今働いている会社の入社面接で僕は言った。
「この腐りきったエンタメ業界を変えたい。そのための入口として、音楽が手っ取り早いと思いました。」
ーーと、こんな文章を、『そして僕は途方に暮れる』を聞きながら書いた。
追伸
この前、2軒目のバーを再訪すると、大沢誉志幸のお兄さんはご結婚されて金沢を離れたと聞いた。
バーのマダムは、もう結婚を諦めているようだった。が、本当は女性としての自分をまだ諦めていないと思う。