卒業式のあれこれ、12

大学生活の4年間はあっという間だった。

 

 

と、そんなありふれた言葉は僕はまったく使おうとは思わない。色々なことがあったとも思わない。はたから見たら波乱万丈なのかもしれないが、ただ自分のしたいことをし続け、それなりに成果を出して、そして新たな未来へ踏み出せる状態を作った。

 

それ以上でもそれ以下でもないのである。

 

だけどみんなが口を揃えてそういうのは、その4年間という時間に情が湧いているのだと思う。

幸か不幸か僕は大学そのものおよびそこに在籍する学生にそこまでの関与をすることはなく、ゆえに卒業式にしたって一応行ったものの行かなくてもよかったとも思えてしまう。

 

教授や学費を出してくれた親族への感謝の気持ちというのも正直な話、持ち合わせていない。それぞれが自分の役割をまっとうしただけである。

感謝すべきなのはわかっているけれど、頭でわかっていても自然とそうならないのならば、表面上はうまくやるけどそれを確かなものだと信じてはいけない。それは自分はたまた人生に対して不道徳である。

 

僕は正直に生きていきたい。というか、そうすることしかできない。

自然に生きていきたい。というか、そうすることしかできない。

 

入学前というか高校生の時に、せいぜい二十歳までには自分がいかなる存在であるか、当時はアイデンティティなんて言葉を使っていたが、それを確立させたいと思っていた。そして同時に、どうせ確立なんてしないだろうと半ば諦めてもいた。

しかし完全に確立した。それは「役割」という言葉を用いて解決するようになった。この世界における僕の役割を自覚することができた。

 

だから自分における悩み、もしくはそれに準ずる悩みなどというものはいっさい存在しない。すべて解消してしまった。

 

すると思考することを止めてしまうようになった。思考しなくても生きていけるようになってしまったのです。

でもそれはよくないので、とりあえず哲学書でも読もうと思います。

 

長々と、実態のない言葉遊びを失礼いたしました。