忘年会ストライキ。集団化。自己中を極めし人間。32

2019年12月末、会社で忘年会があったが、僕は参加しなかった。

よく飲み会を断る理由として挙げられる”パワハラ”や”生産性”といった言葉で語るつもりはない。うちの会社は仲が良いほうだと思うし、絵に描いたようなひどい上司がいるわけでもない。むしろ参加したかった。それなのに断った理由はただ一つ。「お金を払うのが嫌だったから」。

かつて東京に配属されていたころ、こういった会社の飲み会はすべて経費で落とされていた。社員がポケットマネーを出すことは一円たりともなかった。しかし左遷先の大阪で今回言われたのは「ひとり3,500円」。東京と大阪は同じ会社であり仕事内容や業績に差があるわけでもない。それなのに待遇が異なる。おかしいのではないか。

今、大阪に配属している人は東京へ配属されたことのない人が多く、みんなは疑問を抱かずにあたりまえのように会費を払う。僕は少々嫌な人と思われるのを覚悟して、東京との待遇の違いを言ってみた。みんなは不満を垂らした。上司に話をしてみようと提案してみたが、そうとなると「その面倒をするくらいならお金を払う」と。結局、忘年会は僕を除いた全社員が参加することになった。

みんなが同じ方向に向かっているとき、それを乱すような言動をとるのは覚悟のいることだ。参加しなかったことでみんなからは「ノリが悪い奴」と思われたと思う。「でも、みんな行くし、3,500円くらいならいっか」と思えれば楽なのだろう。その会で楽しい時間を過ごすことができただろう。だけど、そうやって無思考になってしまっては、もしそれが仮に間違った方向だとしたら徐々に組織は狂い出し、いつしか全滅する。

集団化。みんなが「空気を読む」という名の得体の知れない圧力で、間違った方向を向き続けて起きた数々の戦争。災害。差別。いじめ。犯罪。。一人ひとりが異なる考えを持つことは難しいことだと思うけれど、もし強い意志を持てる人がいたならば、それをうやむやにしてはいけないと思う。考えることを止めてはいけない。それは最初は決して優遇されるものではなくむしろ社会に冷遇されるけれど、それでも、自分を貫き通すことが大切だと思う。

もし僕がなんの疑いもなく参加していたのなら、東京と大阪の待遇の差が見直されることは起こり得なかった。今回の件で上司たちに想いが届いたのならば本望であるし、そう簡単にいかないとしても、今後も自分が間違っていると思うことは微力ながら声を上げたいと思う。

ところで、本気で変えたいと思っているのなら、たとえ一人であっても上司にちゃんと相談するべきだ。でも僕はそこまではしなかった。なぜなら「その面倒をするくらいなら勝手に参加しなければいい」から。ようするに自分の納得のいかないことはしたくないだけの自己中なのであり、上司からすると「ケチくさい奴」なのである。

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