『ラストレター』森七菜さんをぐだぐだ語る、27

この文章もまた、社内向けに書いたものです。少しウソを書いています。

やや修正を加えましたが、ログとして転用いたします。

 

 

2020年1月17日、岩井俊二監督の最新作『ラストレター』が公開される。私はこの作品の公開を長らく待ちわびていた。運よく試写を見る機会があり鑑賞したが、やはり期待を裏切らないものであった。

 

映画を鑑賞するときに監督を意識する方は、一般的には多くないように感じる。しかしそれは、ショパンスケルツォ第2番を聞いて満足しているのと同じだ。では奏者は誰なのか。ルービンシュタインなのか、ポリーニなのか、それともホロヴィッツなのか。同じ譜面でも奏者により演奏はガラリと変わる。映画もまた同様に、画面に映るのは演者だが、その演者含め画面に映るもの(または映らないもの)すべては監督の作為(または作為でないもの)により作られている。なんだかたとえ話をしたらより分かりづらくなってしまったような気がするが。。映画のクオリティへの責任は監督が持つ。それが基本である。ということを言いたい。

 

しかし最近では、いわゆる“職業監督”というものも増えてきている。どうすればより良いものになるかだけを考えていればいいという監督としてのユートピアからは程遠く、事務所やプロデューサーに揉まれながらなんとかして形にすることが最優先事項となる。それが仕事の人たち。そういった方々の作品は、エンドクレジットを見るまで監督がだれだかわからない。誤解を恐れずに言うならば、無個性。

映画の歴史は短い、まだ100年ちょっとだ。しかしそんな中でも名監督と呼ばれる無数の監督たちは、最初の数カットを見るだけで誰の監督作品だかわかるなんてことが当たり前のようにある。そしてそんな作品こそいつまでも長くこの世界に残り続ける。信念があるからだ。決して簡単に消費されたりはしない。これは音楽に関しても同じだと思う。

 

森七菜さんの『カエルノウタ』を使った予告編がある。

https://www.youtube.com/watch?v=a6K81uY5hL8

松たか子の凛としたたたずまいは『四月物語』を、広瀬すずの『手紙?なに、手紙って』には『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(1995)の奥菜恵の駆け落ちシーンを彷彿とさせる。間違いなく岩井俊二監督作品であると断定できるだろう。

 

『ラストレター』のプレスリリースを読んでまず驚いたのが、庵野秀明の出演。ご存知、エヴァンゲリオンシリーズを作り上げた人である。実写映画も監督しており、『シン・ゴジラ』が有名だがそれより前に『式日』(2000)というニッチな映画を作っている。ここで岩井俊二を役者としてキャスティングしている。しかも主演。これで、お互いの監督作品にキャスティングし合っている状況となり、なんだかある種の気持ち悪さを感じる。やたら緊張感のある映写室でさえ、庵野さんの出演シーンでは笑い声が聞こえた。

次に、プロデューサーが川村元気さんであること。『君の名は。』をはじめとする新海誠監督作品のプロデュースをはじめ、0年代以降の邦画ヒット作を次々と排出している。アニメ映画『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(2017)のプロデューサーも務めたが、これは岩井俊二監督が1993年にドラマとして、1995年に映画版として公開した同作が原作である。正直、彼がプロデューサーになったことで作品のクオリティが下がりはしないかと不安だった。確かに従来の岩井俊二監督作品と比べて大衆向けになっているが、それでも監督の個性は健在だと思う。

あとは主題歌『カエルノウタ』を岩井俊二が作詞していることだろうか。音楽への造詣も深く、かつて『スワロウテイル』(1996)ではCHARAさん率いるYEN TOWN BANDの作詞をしている。発足は劇中バンドだが今もなお長く活動している。

 

森七菜さんを初めて認識したのは日テレのドラマ『3年A組-今から皆さんは、人質です-』(2019)だった。あまりにも自然であり素朴な演技をする子だと思った。まもなくしてヒロインを演じた『天気の子』が公開されて勢いを感じていたところに、岩井俊二に大抜擢。

『ラストレター』で共演している広瀬すずさんも、最初は広瀬アリスの妹という印象しかなかったが是枝裕和監督作品『海街diary』(2015)での演技を見て、確かな実力があり息の長い女優になることを確信した。森七菜さんもまた、『ラストレター』劇中では決して見劣りすることはなく広瀬すずの妹分を十分に演じ切っていた。

歌声は決して上手いわけではないが演技にもある素朴さ、透き通る声でエンドくレジットの余韻を引き立てるもの。岩井俊二監督作品の甘酸っぱい青春を軽やかなタッチで描く作風に、彼女のある種の“特別でない感“はそれを最大限に引き立たせるものだった。

 

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