大阪ぷらっと自転車旅その1 ─西成区編─、29

2020年になっても、当たり前だけど2019年10月からの大阪生活は変わり映えなく続いている。仕事が休みの日は用事がなければ家にこもって作業をするのみ。しかしそんな生活が続くと、やんわりと不安感に襲われる。そもそもここはどこなんだ。家の半径1km以内すら知らないようなところの居心地が良い訳がない。僕は決して家猫のように箱の内側だけ知っていれば良いとは思わない。僕のオーラによる円はわりと広い方だと思っている。

せっかく大阪に住んでいるのだから、大阪ひいては関西に詳しくなろう!そう意気込んで来たけれど、そしてそれは一瞬たりとも忘れてはないけれど、それから3カ月経った今でも大阪をあまり知らない。「大阪での生活はどうですか」と問われ、まだ大阪で生活しているという実感がなくなにも答えられない。道頓堀グリコとサシ飲みすることはあるけれど、それをしたところで大阪を知ることにはならない。知識がなくてはならない。だから雑学だけは身に付けてきたけれど、それでも足を運ばないのはもっと調べてからでは勿体ないと際限ない効率厨がかえって邪魔をするからだ。そこに行くのに時間や金がかかるわけではないのに。ようは怠惰なのである。

 

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とはいっても、足を運ぶにあたり最低限の知識がなくては身に付くものも身に付かないだろう。大阪市内の路線図および区の構成だけはなんとなく覚えておく。小学生の頃から何度覚悟してもできない早寝早起き。自宅のある福島駅を発ったのは14時。。

 

福島区からなにわ筋を南下して堂島川土佐堀川の中州である中ノ島を越えて西区へ。玉川から難波に行くときに通る阿波座駅前に寄り道してみる。なんもないけど、西長堀のほうまで南下すると木津川の向かいには京セラドームが見えた。自分とは関係ないと思っていた聞いたことある名前の場所さえ、家からチャリで10分ちょいなのである。

浪速区に突入。桜川そしてJR難波駅の西側へ。浪速公園というのに入ってみる。小学校低学年くらいの子どもたちが東京では見られないような自意識の外し方で叫んでいる。「ゴミは捨てなくてはいけませーん!」それが誰かの家であろうことなど知る由もなく段ボールを破壊する。

 

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看板があったので読んでみると、平和や人権についての区民の想いが書かれたタイムカプセルが収蔵されているという。浪速区行政100周年の2025年と、世界人権宣言150周年の2098年に開封。1999年当時からすると2025年はまだ見ぬ未来だったのだろうか。2020年の今の僕が、2098年がまったく想像できないように。。

 

さらに南下し今宮、新今宮。そして西成区。ここは路上生活をする日雇い労働者たちが全国から集まる「あいりん地区」と呼ばれる区域がある。第二次世界大戦時には大阪大空襲で甚大な被害を受けた。その後、様々な経緯で日本随一のドヤ街となる。1990年には警察が暴力団から賄賂を受け取ったことが発覚し、労働者やその勢いに便乗した暴走族が大規模な暴動が発生。日本で一番治安が悪いとまで言われることもある。

 

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日雇い労働者たちは早朝時間に「あいりん労働福祉センター」に集まり今日の仕事を探す。工事現場での肉体労働などがその大半を占める。1日10,000円が相場。寝床は路上生活する者もいれば、1,000円前後で泊まれるドヤに入り浸る者もいる。仕事を取れなかった者は昼から近隣の激安店で酒を飲みながら仲間たちと賭博をするなどで楽しむ。ここで働くのに身分証は要らない。様々な理由で表社会に立てない人たちも居られる場所。

あいりん労働福祉センターは仕事紹介場としての機能のほかに路上生活者にとっては住居としての役割もあった。しかし耐震工事の都合上で2019年3月31日をもって閉鎖されることになる。私が笹塚サウナで令和を迎えていたころ、労働者たちは閉鎖に必死に抗議をしていた。シャッターが閉まるのを身体を使って阻止した。彼らにとってここは唯一の故郷だったりもする。そのため閉鎖は見送られるも、その約1か月後に機動隊の介入により強制的に閉鎖。今は移転および建て替え中。それでも、閉鎖から1年弱が経った今でもこの施設付近にはたくさんの路上生活者たちがいた。

彼らの中には生活保護を受けられる者もいるだろう。しかしそれを受けずに仲間たちとわいわいする時間を選ぶ人が残っている。みずからを”弱者”と卑下しながらもどこかプライドを持っている。行政に対する不信感を抱き、静かに、ときに激しく反抗している。僕は決してそれらを支持するわけではないけれど、とはいえ簡単に否定することもできない。壁に貼られた無数の心の叫びを読んでいるとおっちゃんが話しかけてきた。何を言っているのか分からなかったが、時間が止まっているかのような話をしていたように見えた。

 

腹が減ったので近くの小汚い店に入った。ホルモン中華そば300円。旨かった。話しかけてきたおっちゃんが吸っていたたばこは”わかば”。僕はパッケージを出さずに”パーラメント”を吸った。スマホも出さなかった。今思うとこれは気遣いでもなんでもない。むしろ失礼に値するかもしれない。同じ日本なのに僕が想像できないような生活をしている彼らに、どういうスタンスで向き合えばいいのか分からなかった。そしてこう思うこともまた”差別”なのだと思う。